最後の1ヵ月を精一杯生きたある女性の生前準備
一人の女性が自らの命に正面から向き合い、思いっきり生きた一ヶ月をお話しさせてください。
僕たちウィルの進むべき方向を気づかせてくれた一人の女性。
関口明美さんについて、ご遺族様より許可をいただき、お話させていただけることになりました。
彼女が僕たちに教えてくれた大切なことが、あなたにも伝わることを願っています。
出会い
2007年の8月28日に、浦和区にお住まいの、関口明美さんという女性からお電話がかかってきました。
「私はあと余命一か月って宣告されたんですけど、お葬式の相談をしたいの。」
正直言って、お葬式や法事の相談をいただくことはありましたが、今まさに天寿を全うされようとしているご本人からのご相談というのは初めての経験でした。
驚きはありましたが、ただ、このとき3年ほどカウンセリングを学んだ知識もありましたし、少しでもお役にたてる部分があればと思い、ご相談を受けることにしました。
関口さんのご自宅に伺って、玄関からリビングに通していただくと、左手にはアトリエのような部屋があり、正面にはハロゲンライトで照らされたきれいなショウケースが飾ってありました。
話を伺ってみると、関口明美さんは、彫刻や陶板などで表現する芸術家なのでした。
※関口さんの作品の一部 |
旅立つ人の想い
まず、「関口さんが気にされていることや不安なことがあったら教えてください」と聞くと、答えはこうでした。
「私が亡くなると、残されるのは独り者の妹だけになってしまうので、それが心配だ。」
「葬儀に人を呼ぶと、わざわざ来てくれるっていう人がいるけど、そういう人たちに迷惑をかけたくない。」
まず驚いたのは、自分が一カ月前後で亡くなるかもしれないというご当人が、気丈にも周りの方へのご心配をしているということでした。
もう一つ気になったのは、「周りの方に迷惑をかけたくないから人は呼びたくない」とか、「心配だ」とか、そういう言葉が多かったことです。
そして、ある事実を打ち明けてくださいました。
芸術家である彼女の個展が、余命宣告と同じ一ヵ月後に予定していたというのです。
その事を聞いたとき、何も言えませんでした。
手作りの事前準備
僕は、少しでも不安な気持ちから目をそらす時間を持ってもらおうと思い、いくつかのご提案をしました。
例えば、明美さん直筆の挨拶状「礼状」なんかを作ったらいかがですか?なんてご提案をしました。
迷惑をかけたくないとか、人は呼ばなくてよいとか言われていた明美さんに、お礼状の言葉を考えてもらうことで昔のことを振り返ってもらいたい。
お礼状を受け取る相手のことを思い浮かべながら、自分の周りにはこれだけのお友達や仲間がいたんだと感じてもらいたい。
そしてその方々が明美さんにしてくれてきたことなどを思い出しながら、少しでも幸福な気持ちを味わっていただけないだろうか、と考えてお話を進めました。
カトリック信者である関口さんは、葬儀社の中には、クリスチャンの葬儀に慣れていない会社が多いことを知っていたようで、それだけに心配もあったようです。
ですから、実際のご葬儀の相談も事細かにしました。
明美さんの好みのものが見つからないときには、翌週までの宿題として持ち帰っていろんな業者様に聞いて回り、またあらためてご提案したりしました。
はじめは「迷惑をかけないように段取りを決めておくこと」が目的だった明美さんでしたが、
「せっかくだから明美さんらしいのを一緒に探しましょう」
「集まってくれた人たちが、“明美さんらしいね”って言ってくれるようなものを作りましょう」
そんなことをお話しながら、飾るお花の色合いから花の種類、お棺、骨壺、そしてお料理の内容や、細かなところではお漬物の種類まで、何度も話し合いました。
そうやっていくうちに、彼女の芸術家としての感性が動き出したように感じました。
一方、芸術家としての明美さんは非常に謙虚でした。
これまで作られた多くの作品があるので、「それを是非ディスプレイしましょう」と提案したのですが、「私はそういう押し付けがましいのはあんまり好きじゃないのよ」と取り合ってくれませんでした。
しかし、その作品が本当に素敵で、彼女そのものだったものですから、「では、直筆のお礼状の裏側だけは、絵葉書みたいに絶対明美さんの作品を載せましょう」と提案すると、「仕方ないわね・・、じゃあ選んでおくわよ」と、僕の意見を(仕方なく?)取り入れていただいたりしながら、本当に一つ一つ手作りでセレモニーの内容を決めていきました。
時間の重み
ただ、その時感じたのは「私たちの時間と、明美さんの時間では重みが違うのだ」ということです。
やはり会うたびに痩せていく姿を見たり、身体につける管の数が増えたりする姿を見ながら、この人に残された時間は少なく、明美さんにとっての一日一日は、私にとっての一日とは全然価値の違う、貴重なものなんだ、と思いました。
そのことを察して、どれだけ早く望みに応えられたかと問われると、恥ずかしい話、私にとってのベストで答えていた訳ではなかったように思います。
明美さんは、身体の調子が良いわけはないはずなのに、限られた時間に逆らうかのように、そして個展ができなくなってしまう代わりのように、僕との打ち合わせのほかにも「作品集を出版する」という目的に向かって、作品の選択から編集者の方との打ち合わせなど、精力的に仕事をこなしていきます。
そんな明美さんの姿をみて、ただただ頭が下がりました。
その頃の自分はというと、この「ウィルさいたま」を立ち上げたばかり。ちょうど社内の方針のずれから問題が起こって数人の退職者がでてしまい、経営者として本当につらい時期だと思っていました。自分ではそう思っていたのですが、そんな明美さんの姿を見て、ちっぽけなことで悩んでいた自分が恥ずかしいと思い、そして勇気づけられました。
そして、永眠
面談を重ねるたびに痩せていく様を見ていたものの、彼女がベッドの上で背筋を伸ばし、毅然と話す姿を見て、このままきっと長生きしてくれるんじゃないか、と期待を持ち始めた矢先の9月25日に状態が急変して、そのまま入院。
そして皮肉にも、余命宣告を受けた予定日ぴったりの9月末日に永眠されました。
明美さんと出会い、せっかく仲良くなったところで亡くなってしまうわけですから、ご葬儀のときには不覚にも遺族より先に泣いてしまいました。明美さんは亡くなってしまったのですから、もう見られてはいないのですが、でも何とかその期待に応えたいと思いました。
何度も何度も打ち合わせをして、彼女の想いを実現できるのは自分しかいなかったからです。
明美さんには、お金では買えない、人の人生に関わる貴重なことを教えていただきました。
そして、僕たちウィルに「生き方を応援する葬儀社」という進むべき方向を与えてくれました。
ベッドの上でも絵を描いていた明美さん。
今、彼女の作品集が出版されています。
関口明美 作品集―邂逅
このページをご覧いただいたあなたがもし、関口明美さんに興味を持ってくださったら、ぜひ読んでみてください。
多くの人に、人生の最後を精一杯生きた彼女の輝きが伝わることを願っています。